歴史

本堂
威徳院本堂

大治5年(1130年)開基

当山は大治5年(1130年)真雅上人の開基、中興は嘉吉2年(1442年)天性僧都と伝えられている。今日の都から東北へ通じる最古の街道『東北道』を巡錫していた真雅上人が、那珂川沿いから西の山をご覧になる。まるで霊牛がゆったりと臥せているような風景が、さも極楽のようであると感じ入る。これは日頃、特に信仰していた大威徳明王のお陰と『霊牛山威徳院極楽寺』の名をつけ当山を開いたとされる。

明治4年火災に逢い、焼失。

明治4年火災に逢い、建造物、什宝、古記録類ことごとく焼失し、翌明治5年1月起工、同年10月建築落成した。

威徳院の現在

宗派は真言宗智山派である。

現在の建造物は本堂、祈祷堂、鐘楼堂、山門、庫裡、会館、納骨堂、倉庫等である。

安置されている仏様は、虚空蔵菩薩、聖観音菩薩(那須三十三所観音霊場 二十二番札所)、不動明王、大威徳明王、地蔵菩薩、大白衣観音菩薩、妙見菩薩、摩利支天、釈迦羅天、閻魔大王寿老尊(八溝七福神霊場)である。

聖観音菩薩

聖観音菩薩は、当山より南へ1キロの山中に廃寺となっていた正法寺のご本尊様である。村人たちが大切にお祀りしていたが、明治4年の威徳院火災後、両寺が合併し移されたものである。近年古い石碑が掘り起こされ、正法寺の開山は覚性尊者と判明する。門前には珍しい石像の子育て地蔵座像がお祀りしてあり、地域の厚い信仰を受けている。

2社1寺

現在は、天神宮、富士権現も管理しており、2社1寺の形態である。

天神宮は、その場所を天神台といい、昔は毎年2月25日に祭礼を行い、草相撲が奉納された。子供たちは紙に文字を書き、境内の梅の木に下げ、文字の上達を祈ったという。近年は、2月21日建国記念日に祭礼を行い、受験祈願や厄除祈願の菓子撒き等が行われる。平成14年に宮殿、鳥居、神像修理平成20年に参道が整備される。

富士権化は、三十三回忌をむかえた地域の祖霊がここに宿り、各家庭や地域を守護するといわれている。その証か、この地の周辺に十三仏を思わせる十三塚があった。また、昭和30年代までは天念仏なる祭礼が当山の境内で行われていた。やぐらを組み、当山住職と笠石神社神主を先頭に、地域の人々が、塩断ちして鐘や太鼓による祈りを三日三晩続けていた。富士権現から祖霊を降ろし、五穀豊穣、家内安全を祈っていいたのである。平成15年に参道、平成20年に富士権現社が整備される。